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トップページ運営組織われら北伯群馬県人第15回 岡島博さん

われら北伯群馬県人

第15回 岡島 博さん(61歳) 前橋市出身  移住年 1954年(あめりか丸)

今回は当県人会の会長岡島 博さんをご紹介します。


岡島博さん
 博さんは本会報2号で紹介しました岡島政夫さんの次男として、12歳でブラジルへ移住してきました。岡島さんのご家族は、野菜、熱帯果樹、そして胡椒の生産に取り組んでおられ、博さんは現在、胡椒の生産と輸出業を営んでおられ、当地でも有数の生産者として知られています。「世界一の胡椒農場(収量一千トン規模)を自分の農場で、自分が生きている間に実現させたい。同時に森林農業のひとつのモデルとして胡椒と銘木の混植をこれからも続けていきたい。ブラジルに来たんだから、ブラジルらしい、アマゾンらしい仕事をしなきゃね」と日々語られる博さん。今回は、博さんのひととなりをご紹介したいと思います。

− ブラジルにきた当時のようす

 来たときはまだ12歳だったから、そんなに特別な気持ちはありませんでした。家族も皆一緒だったしね。でも「大きな国にいく」っていうんで、うれしかったですよ。ベレンの港についた時は、パトロンの大橋さんがトラックで迎えに来てくれてね、それに乗ってベレンの街を通っているとき、ちょうど街路樹のマンゴーが鈴なりでねぇ、果物がいっぱいだぁって喜んでいたよ(笑)。ソロロッカ(バショウ科の植物で、バナナの樹に似ている)もいっぱい道路わきに植わってたんで、「バナナもいっぱいだ!」って喜んでたんだけど、それにはバナナはならないって言うのを聞いてね、その時はがっかりしたね。

 子どもの頃は体育が苦手で、いつも本ばっかり読んでました。ウチの親父によると、僕が生まれたとき医者から「今度のはモノになんねぇかもしれない」といわれたらしい。体が弱かったんだ。だから「丸もうけ」で今まで生きてきてるんだよ(笑)。そういうことがあるからか、「それじゃあ、丸もうけついでに何かしたいなぁ」っていつも考えているんだろうね。

− 当時の生活で大変だったと思ったことは?

 僕自身、これといってたいへんだったなということはないんだけど、ただひとつ、「母はおおごとだなぁ」と感じましたよ。移住前の前橋では水道もガスもすでにあったんだけど、ここではつるべ井戸で水を汲んで、薪、かまどでご飯を炊いていました。そういう普段の様子をみていて「母ちゃんはたいへんだなぁ」って思ってました。

− 仕事はどうでしたか?

 ウチのおじいちゃんは大工の棟梁、そして親父は生糸商だったでしょ。もともと農業をしている家ではなかったんだよね。親父なんかはそろばんと金勘定は上手。「そろばんより重いものは持ったこたぁねぇ」って自慢するくらいの人なので、農業の経験は当然無かった。だからブラジルで僕たちを受け入れてくれたパトロンの大橋さんは呆れていたよ。大橋さんは日本の新しい農業技術を僕たちに期待していたようだったんだけど、当てはずれの移住者だったよね。

 だから最初は見様見真似で野菜作りからスタートした。僕は何故か子どもの頃からものおじしない性質だったんで、当時から、作った野菜を売ったり、そこで儲けたお金で必要なものを買ったりというような仕事をしていました。兄弟3人で野菜を日曜市場にもっていって売ってたりもしてたね。そうこうしていて、移住から3年後、パトロンとの契約がきれて、カスタニャールで独立しました。最初の3年は大橋さんにお世話になり、ありがたいことにカスタニャールに移り住んでからも、いろんな方に力になってもらいました。その頃にはある程度の農業の技術も身についてましたし、移り住んでからすぐ胡椒に取り組み始めました。

 さっきも言った様に、僕は岡島の家の外交の部分を任されていたし、「せっかくブラジルに来たんだから、出来る限りの事をして、自分で納得して自信をもって言える仕事がしたかったんです。若い頃からそうだけど、ブラジルにいるんだから、ブラジルで可能な農業を目指してましたね。僕の場合、学生生活の経験もないし、言ってみれば仕事がレジャーみたいなものでしたよ(笑)。「自分なりにいろいろプランを練って、それを実行する」という仕事が、僕にとってはすごく楽しいものでした。そういうことがあったからか、ただ単に生産物を作るということだけではなく、商売(胡椒の輸出業)をはじめることにもなったんでしょうね。私自身、どうしても農業と商業を組合せて、ひとつの一貫したサイクルを自分の手で作りたかったというのがありましたしね。今では息子も家業を継いでくれて、商事部を任せてるし、おかげで僕は生産のほうに専念できますよ。

− 夫として、父親としてはどうでしょう?

 仕事仕事の今までだったからねぇ。夫らしい、父親らしいことはしていないんでしょうね。休みの日に子ども達と遊んだりはしなかったなぁ。悪い夫であり、悪い父親だったと思うよ。最近息子がね、「あなたは私をあなたの思うとおりに育て上げ、結果もそうなった。今ある僕の能力の基礎をあなたが造ってくれたということは認める。でも、僕はこれからは自分のやりたいことをしたい。」なーんて言うようになったんだよね(笑)



(今回の記事は前編集者 吉田則也氏の執筆によるものです。吉田氏は本会報の初編集者として2年間、本県人会の為に多大な働きをもたらされました。この場をお借りしまして、吉田氏に御礼を申し上げます。)






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Last Up Date : 31/07/2003
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